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2008年和2009年的考研日语203真题以及答案 - 副本

2008年和2009年的考研日语203真题以及答案 - 副本
2008年和2009年的考研日语203真题以及答案 - 副本

2008年全国硕士研究生入学考试日语试题

Ⅰ基礎知識(20点)

次の文章を読んで、1~20の問に答えなさい。答えは選択肢[A][B][C][D]からもっとも適切なものを一つ選びなさい。

人と物の関係を端的に示す例がある。ある外国人女子学生が日本の農村社会での人間関係、行動、習慣を観察すること(1)目的に、長野県の民家に同居し、調査活動をしていた。その家の大家さんは親切な人で、いろいろと面倒を見て(2)。私は、その学生に日本語を教授する仕事を引き受けていたが、ある日彼女は(3)ことを言い出した。

「おととい、大家さんと喧嘩をして、大家さんはそれから一言も口をきいてくれなくなった。一体どうしてでしょうか」というのである。事情を詳しく尋ねてみると、(4)、おととい大家さんから借りていたストーブが(14)何かの加減で故障してしまったので、持って行き、壊れましたと(15)渡した途端、大家さんは不(19)機嫌になってしまった、というのである。私はそのとき、実際にどんな言葉遣いをしたのかを確かめてみた。返答は「この前から借りていたストーブが壊れてしまいました」である。

私は、大家さんの(20)人柄や普段の言語行動についても尋ねてみた。親切だが、(5)世話やきの感じのするタイプであるらしい。そこで私はそのストーブの故障の原因について尋ねてみた。(6)その女子学生は、「理由はよく分からないが、その朝、火をつけようとするとつかなくなっていたんです。だから壊れましたと言いました」と言うのである。次に私は、「壊れました」と「壊しました」の表現法の違いについて本人に尋ね、そのことで話しあう(7)。「壊れました」と「壊しました」は、文法的に言えば、他動詞表現と自動詞表現の差に過ぎない。しかし、そこでコミュニケーション上問題になるのは、実は、どちらを選択するかということが、物と人との関係の中で、相手に対する自分の態度を明確に表してしまう(8)。彼女はその点(9)考えが及ばなかったわけである。「壊しました」という表現は、確かに、壊れた(10)自分が何らかの責任を持っている場合に(16)限られるであろう。(11)「壊れました」は、物自体が壊れた状態を客観的に示すわけである。(12)、物が実際に壊れ、しかも壊れたことに対して当事者が責任を感じないならば、「壊れました」と表現しても何ら差し障りはないわけである。

しかし、この二表現のうち、非常に日本的な言葉遣いをする(17)人であれば、たとえ、故障の原因が不明で自分の責任の有無も不明であったとしても、恐らく「壊しました」という表現を選択するであろう。そのストーブは相手に(18)属するものであるから、それを借り受けているという関係の中で、壊れたことに対する責任を自分は感じているんだということをとにかく表明するわけである。(13)、物自体がそもそも不良で、その結果壊れてしまった場合でも、この「壊しました」という自己に責任のある表現形式を選択することが多いと言えよう。

(1)~(13)に入れるのにもっとも適切なものはどれか。

1.[A]が[B]へ[C]は[D]を

2.[A]あげていた[B]もらっていた[C]くれていた[D]やっていた3.[A]こんな[B]そんな[C]あんな[D]どんな4.[A]本来は[B]実は[C]元は[D]実際は5.[A]なぜかというと[B]なにかというと

[C]どれかというと[D]どちらかというと

6.[A]そうしているうちに[B]そうすると

[C]そうこうしているうちに[D]そうなると

7.[A]ことにした[B]ことになる

[C]ようになる[D]ようになった

8.[A]というのである[B]といったからである

[C]ということである[D]といったことである

9.[A]にまで[B]にでも[C]までに[D]までで

10. [A]にとって[B]にしては[C]に対して[D]につれて

11. [A]また[B]一方[C]では[D]しかも

12. [A]そして[B]それに[C]ところで[D]したがって

13. [A]よく言えば[B]うまく言えば

[C]曖昧に言えば[D]極端に言えば

14.文中の「何かの加減で故障してしまった」の「加減」に当たる解釈はどれか。

[A]程度[B]契機[C]具合[D]理由

15.文中の「渡した途端」に当たる解釈はどれか。

[A]渡したその時[B]渡す直前

[C]渡した後[D]渡しているところ

16.文中の「限られる」の「れる(られる)」と同じ使い方のものはどれか。

[A]宮崎アニメは子供のみならず、大人にも愛されている。

[B]食べられない物をそんなにもらっても仕方がない。

[C]木村先生は中国語研修生を引率して上海に行かれた。

[D]外出直前に彼女に来られてほんとに困ってしまった。

17.文中の「人であれば」の「ば」と違う使い方のものはどれか。

[A]ちゃんと説明すれば、分かってくれるはずです。

[B]最後まで一生懸命頑張れば、きっと成功する。

[C]東北地方は今寒いが、春が来れば暖かくなる。

[D]勉強する学生もいれば、あまりしない学生もいる。

18.文中の「属するもの」の「もの」と同じ使い方のものはどれか。

[A]母は来週来る予定でいますが、一日も早くきてほしいものです。

[B]ほしいものは何かと聞かれても、すぐには思い出せないものです。

[C]私は長女ですもの、弟の心配をするのは当たり前でしょう。

[D]あの店は国営なので、あそこに並んでいるものは安心して買える。

19.文中「機嫌」の読み方はどれか。

[A]きかね[B]きけん[C]きげん[D]きがね

20.文中「人柄」の読み方はどれか。

[A]ひとから[B]ひとがら[C]じんへい[D]にんへい

Ⅱ読解(55点)

A次の文章の[一][二][三][四]を読んで、21~40の問に答えなさい。答えは選択肢[A][B][C][D]からもっとも適切なものを一つ選びなさい。(2点*20=40点)

[一]

読者にとって、原稿が手で書かれていようが、パソコンで作られていようが、ほんとは何の関係もないことだ。最終的には活字体の文字となって、印刷された形となってくるのだから。

今、人々が一般的に、どういった方法で文章を書いているかは定かではないが、少なくとも僕は、ほんの些細なメモ以外は、ほとんどすべてパソコンで文章を書いている。いや、書いているというのは正しくない。打っているのだ。この二十年近く、手で文章を書くことから遠ざかっていた。もちろん、それは、パソコンを使ったほうが、手で書くよりも、簡単に文章ができるからである。そして、文章化した後の工程も電子化されていることが多いので、(つまり、電子メールなどで送ること)そっちにいついても簡単だというわけだ。

しかし、簡単だからといって、こうした電子機器を安易に多用することの弊害はもちろんあるのだろう。いろいろなところで言われているように字を忘れたり、文章が平板になったり、無味乾燥になりがちだというようなことだ。とはいえ、弊害が多々あるからといって、じゃ、すべて手書きに戻し、今の便利さを捨て去ることができるかと言えば、それはそうではない。やっぱり、世の中の流れとしては、どうしても容易、便利さが優先されてしまう。

もう一つ、ぜんぜん別の角度からの弊害もあることに気がついた。それは、本来、手で書くということは、書道という芸術があることで、示されているように、楽しさでもあったのに、その楽しさを忘れさせてしまうということだ。もともと、初めはビジネス上の文章だった。書き直したり、清書したりするのが簡単だという、ほんとに(21)怠け者の精神が、僕から快楽を取り上げたのだ。そして、いつしか、私信までパソコンのお世話に。

最近では、Eメールの進展から、文章をプリントすることなく、直接誰かに送る、ということも誠に当たり前の

ようになってしまった。これでは、(22)活字離れということが本当に心配されるのも無理はない。しかし、よく考えてみると、手書きから電子化への過程で、きっと文章は変質していったことだろう。文章から文書へと。これは実はとっても大変なことではないであろうか。近頃では、作家の中にも、パソコンで仕事をしている人が増えていると聞く。まあ、プロの皆さんですから、もちろん、これはいらぬ心配なのだろうけれど、手で書くことと、指で打つことの間には、結構な違いあるように思う。だから、今回、僕は手で書いてみることにしたのだ。そう、(23)人体実験というやつだ。

21.文中の「怠け者の精神が、僕から快楽を取り上げた」とあるが、それはどんな意味か。

[A]パソコンのおかげで、文章が簡単に書けるようになって楽しさが増した。

[B]パソコンのせいで、いい文章が書けなくなり、楽しさが減少してしまった。

[C] パソコンのおかげで、苦労せずに文章が書き上げられる快楽を感じている。

[D] パソコンのせいで、苦労せずに文章が書けると同時に、快楽がなくなった。

22.文中の「活字離れ」の原因として、最も適切なものはどれか。

[A]作家の中にもパソコンで仕事をする人が増えてきた。

[B]手書きから電子化への過程で、文章が変質していった。

[C]Eメールの発達で、文章をプリントせず送るようになった。

[D]字が書けなくなるだろうという、いらぬ心配をしなくなった。

23.文中の「人体実験」とはどういうことか。

[A]果たして心配事がどの程度であるかを、自ら体験してみる。

[B]プロ作家の手書きとパソコン打ちことの楽しさを体験してみる。

[C]手で書くこととパソコンで打つことの楽しさを体験してみる。

[D]久しぶりに手で書き、パソコン打ちとの違いを実感してみる。

24.パソコンを使って文章を書く弊害は、どんなものだと言っているか。

[A]文章が単調で、おもしろみがなくなってしまいがちになる。

[B]書き直しと清書が簡単にできなくなり、書道が衰える恐れがある。

[C]文章が簡単に書けなくなり、安易に電子機器を多用するようになる。

[D]書いたものを電子化することが難しくなり、文章の質が落ちる恐れがある。

25.この文章で筆者がもっとも言いたいことはどれか。

[A]弊害が多いため、便利ではあってもパソコンの過度使用は慎むべきだ。

[B]パソコンの使用は書道の楽しさを失う恐れがあるため、やめるべきだ。

[C]すべて手書きに戻すのは無理であるが、手書きを優先させた方がいい。

[D]パソコンの容易さ、便利さは否定できないが、その弊害も否定できない。

[二]

少し前のことですが、こんな記事を新聞で読んだことがあります。小学三年生の子ども

を毎日プールに連れてきている母親の話。なぜ、そんなことをするのか。「将来の受験のために体力を作るのです」というのが、その答えです。子どもの時代は受験のための待ち時間に過ぎない、ということなのか。受験地獄という言葉があります。教育の歪みも、いまでは、(26)ここまできたのか。————これが、その記事を読んだ時の率直な印象でした。

もちろん、限られた人生ですから、未来のために長い目を持ち、しっかり準備することは、大切です。しかし、(27)それが行き過ぎますと、現在という時が、つねに(28)固有の意味を失って、将来のための準備の時になってしまう。そうすると、現在をほんとうに大切に生きることが、見逃される恐れが出てきはしないでしょうか。もし(29)そんな形で、それぞれの時期に固有の意味を持った人間形成ができないのなら、うまく成長できず、幼児的な人間が作られるだけではないでしょうか。そして未成熟の大人になり、老化していくだけの人生になるのではないでしょうか。

実際、最近の子どもたちは勉強に追われて遊ぶことを忘れ、学校でもクラブ活動をあまりしたがらないということをよく聞きます。そこからはいろいろな問題が出てくるように思えるのです。

普通、子どもたちは遊ぶ時に自分で創意工夫して、想像力を働かせ、豊かな世界を創りだすものです。たとえば、部屋の隅にぶら下がっている使い古した箒を跨ると、それが馬に化ける。あるいは広場に転がっている板切れが魔法に鏡に化ける。そのように、子どもたちは、もともと自由な創意を加えて楽しく遊ぶ術をよく知っている世代です。自由な遊びを通して彼らは想像力を養い、また集団の行動を通して仲間づくりの力や、あるいはリーダーシップの能力を開発されもするのです。

こうした遊びの世界や自由に遊ぶ喜びを忘れるということは、子どもの時代に身につけるべき社会性や創造性が失われてしまうことを意味しています。ひいては、非個性的な人間になってしまうのが落でしょう。

26.文中の「ここ」の指すところはどこか。

[A]教育が歪んでくるところ

[B]受験地獄という言葉が作られるところ

[C]小学三年生の子どもを毎日プールに連れてくるところ

[D]子どもの時代は受験のための待ち時間にすぎない、と考えるところ

27.文中の「それ」の指すところはどこか。

[A]未来のことを頭に置きながら、若い時から準備すること

[B]限られた人生を大切にして毎日を楽しく過ごすこと

[C]未来のことを頭に置きながら、若い時から体力を作ること

[D]未来のために長い目を持って人生の計画を立てること

28.文中に「固有の意味」とあるが、その意味は何か。

[A]若い時代、毎日の努力によって生まれた意義

[B]現在ではなく未来という時点にだけ人生特有の意義

[C]それぞれの時期に習うべきものを身につける体験や楽しさなど

[D]将来のためにしっかり準備していろいろと体験するおもしろさ

29.文中の「そんな形」とはどんな形か。

[A]現在を大切にして生きていく形

[B]現在を大切に生きることを見失う形

[C]将来のことより現在のことを重視する形

[D]将来のためにしっかり準備していろいろと体験する面白さ

30.この文章で筆者が最も言いたいことは何か。

[A]子どもの頃から将来の受験に備えて体力を作るのは大切なことである。

[B]人生というものは、その時その時を大切にして生きることが必要である。

[C]人間は、幼少から創造性を持っていなければ、人生の意味を失ってしまう。

[D]子どもに自由な遊びをされるため、クラブ活動は極力控えるべきである。

[三]

トーストの焼き上がりがよく我が部屋の空気ようよう夏になりゆく

この一首は、朝食のパンを焼いていて「あっ」と思った。それまでは五分かかっていたトースト(烤面包片)が、今朝は四分半で、しかもぱりっと焼けている。こんなところにも夏が来ているんだなあ、という心の揺れ。

実はこの歌には、遠いところで下敷きになっている記憶がある。子どもの頃、母は毎朝、家族それぞれの好みに合わせて半熟、三分熟と卵をゆでてくれた。「すごいなあ」と私は感心したものである。

ある日のこと、寒い寒い朝を迎えた。「お水もずいぶん冷たいわねえ。いつもより長めにゆでなくっちゃ」と母。半熟なら何分、という単純なことではなく、水温によっても、ゆで時間は変わってくるのだ。

卵のゆで時間にも反映する季節の移り変わり。(31)へえっなーるほど、と思った。その時の「へえっ」が心の底のほうに沈殿していたのだろう。トーストの焼け具合が違うことに気づいた時、ぱっと「卵のゆで時間」の記憶が浮かんできた。

こんなふうに、いくつか似た経験が重なって「揺れ」の輪郭がはっきりしてくることも多い。「あっ」と声は出さないまでも、その「揺れ」がいつかは言葉という語りになるときが、きっと来る。私は、そんなふうなまだ形になっていない「あっ」という小さな断片を、(32)感動の貯金と呼んでいる。すぐには使えなくても、しっかり貯めておくことが大切だ。

私自身のことを振り返ってみると、とても(33)大きな貯金箱となったものがある。

学生時代、家族に当てて、せっせと葉書を書いた。東京に出てきて、初めての一人暮らし。寂しくて仕方なかった。家族とのなんでもない日常会話が、突然なくなってしまった

ことが、一番こたえる。朝起きて「おはよう」という人がいない。「今日こんなことがあってねー」と無駄話をする人がいない。(34)そういうものの良さというのはなくなってみて初めて分かる。

葉書は、言ってみれば日常会話の代わりとして書き続けられたのだと思う。内容は、肉の安いスーパーを見つけたとか、東京の人は雤が降ってもあんまり傘をささないみたいだとか、まことに取るに足りないものばかり、けれどそんな日常雑記のなかに、何年か後、形を変えて歌になったような感覚が、ひょっこりと混ざっていたりするのだ。

「だんだん暑くなってきました。朝起きると汗をかいていたりします。でも、暑いねーと話しかける人もいないので、ただ黙って朝ごはん。これがやっぱり寂しいなあ。」「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

この歌は、実はずっと後で、恋の場面で生まれたもの。が、遠く学生時代の葉書にも、すでに(35)歌の種はあったことが分かる。答える人のいない寂しさを味わったことのある心だからこそ、答える人の温かさに、揺れることが出来たのだ、と思う。

31.文中の「へえっなーるほど、と思った」理由としてもっとも適切なものはどれか。

[A]母親が、子どもの好みに合わせて卵のゆで方を自由に変えたから

[B]母親が、卵の中身をまるで知っているかのように上手にゆでたから

[C]卵のゆで時間には、季節の微妙な変化が影響することを知ったから

[D]卵のゆで方には半熟、三分熟などのゆで方があることが分かったから

32.文中の「感動の貯金」の内容としてもっとも適切なものはどれか。

[A]一つ一つの小さな感動を、大切に心の中にとどめ蓄えておくこと

[B]一つ一つの感動した思い出を、日記に記録して保管しておくこと

[C]一つ一つの日々の感動的な成長を、記憶して保管しておくこと

[D]一つ一つの細やかな感動を、言葉という形で記録し蓄えておくこと

33.文中の「大きな貯金箱」の具体的な内容はどれか。

[A]学生時代の葉書[B]家族との無駄話

[C]家族との会話[D]初めての一人暮らし

34.文中の「そういうもの」とは何を指しているか。

[A]一人暮らしをして感じた郷愁

[B]家族とのなんでもない日常会話

[C]非常に大切だと思う家族との会話

[D]せっせと家族に当てて書く大切な葉書

35. 文中の「歌の種」と考えられるものはどれか。

[A]心の記憶[B]季節を感じる心

[C]心の揺れ[D]恋の心

[四]

社会が複雑になって分業が進み、生活に必要なことの多くを他人の手に委ねるようになると、人間の思考はバランスを失い、価値判断に前後の脈絡がなくなります。そのような社会現象がリサイクルに及び、「環境主義の両価性矛盾」を生み出しています。

「両価性」とは、本人がそうと気づかぬまま、同時に正反対の行動をとることを言います。たとえば、ケーキの食べ放題(自助餐)に夢中になりながら,ダイエットに精を出すといった行動です。

リサイクルは環境を守り、資源の枯渇を防ぐことをその目的としているので、環境に優しいことを標榜する製造メーカーは「製造量、販売量を少なくする。製品の寿命を延ばす」ことに全力を尽くすはずです。(ア)、現実には本音で原産、販売量の減少を目標としている会社はまずありません。むしろ、増産、販売量の増大を計画している場合がほとんどです。これは両価性です。(中略)

産業界全体を覆うこの両価性矛盾は、新聞などのマスコミにも広がっています。(中略)個人でも、(37)会社では企業人として増産に知恵を絞り、家庭では市民としてものを倹約するという例が見受けられます。

本来、正常な人間は価値観の違うことを同時にすることにストレスを感じるものです。しかし、現在の日本では社会自体が大きな矛盾を抱えているので、両価性が直接的なストレスにならず、じわりじわりと社会を蝕んでいると言えるでしょう。

両価性矛盾は環境保護活動全般に及んでいます。その著しい例が、「リサイクル推進派の人間で(38)現実にリサイクルをしている人はまれだ」という現象です。ほとんどの人はペットボトルをリサイクル箱に入れたり、新聞紙を束ねて出したりしているだけで、実際にはリサイクルをしていないのです。

ペットポトルをリサイクルするというのは、自分でペットポトルを回収工場まで持って行き、そこできれいに洗ってラベルをはがし、キャップをとって成型機で成型し、もとのペットポトルにすることです。また、紙をリサイクルするというのは、「紙を束ねて出す」のではなく、自分で薬品を使ってインキを除き、夾雑物を取り去り、短い繊維を除き分け、抄いて紙にすることです。

かつて江戸時代に行われたリサイクルのほとんどは、自分でするリサイクルでした。そのためにリサイクルの苦労も体感していたし、リサイクルすることによってかえって生産を阻害することは避けました。もちろん、他人に向かって「私はリサイクルしている」などといったポーズをとることなど、考えもしなかったでしょう。

物事が現実のものとして感じられるときには、両価性は消えていきます。

36.文中の(ア)に入れるもっとも適切なものはどれか。

[A]そこで[B]あるいは[C]しかし[D]したがって

37.筆者は「会社では企業人として増産に知恵を絞り、家庭では市民としてものを倹約する」人がストレスを感じないのはなぜだと言っているか。

[A]現代のような複雑な社会では、正常ではない人間もいるから。

[B]個々の価値観による行動の不一致は社会を少しずつ蝕むから。

[C]分業が進み複雑になった社会では、ある程度矛盾が生ずるのは仕方ないと思うから。

[D]大きな矛盾を抱えている社会では、正反対の行動をしていても矛盾に気づかないから。

38.文中「実にリサイクルをしている人」とはどういう人は。

[A]リサイクル資源を自分の手で再生する人

[B]実際にリサイクル資源を回収場所まで運ぶ人

[C]リサイクル資源を回収し、再生された物を使う人

[D]自分だけでなく地域全体のリサイクルを推進する人

39.文中の製造メーカーに関する両価性の説明として正しいものはどれか。

[A]環境保護を標榜しながら、原産に努める。

[B]環境への優しさを主張しながら、増産を計画する。

[C]資源の枯渇を防ぎながら、製品の寿命を延ばす努力をする。

[D]環境を守りながら、製造量を少なくすることに全力を尽くす。

40.筆者がこの文章で言いたいことはどれか。

[A]現在のリサイクルのやり方は矛盾が存在する。

[B]現在のリサイクルのやり方は江戸時代よりいい。

[C]現在のリサイクルのやり方でも少しは環境保護に役立つ。

[D]現在のリサイクルのやり方は製造量の減少に役立っている。

B.次の文章の下線のついた部分を中国語に訳しなさい。(3点*5=15点)

41.灯火器具やラジオ、時計、剃刀に至るまで、私たちの生活がコードレス化(无线化)されてきている中で、電池の普及はとどまるところを知らない。そして電池には一度使い、放電すると充電のきかない乾電池と、何回でも充電?放電を繰り返し、いつまでも使用できる蓄電池がある。

このことを人間に充当すれば、まさに人生は放電を充電の繰り返しと言ってよい。充電しつつ放電し、放電しつつ充電している。その方法において、乾電池型の人生と蓄電池型の人生が分かれてくる。

42.学生時代は、親?教師?友人?先輩など、いわばコード化された、恵まれた中にあっても、社会人となればコードのない、自らコントロールせねばならなぬ生活に移ると見ても良い。したがって学校を出てから本当の充電(技術や教養の体得)が始まり、先の二型で人生の色合いが違ってくる。充電には、読書、人の話を聴く、物事の観察、物事を考えるなどさまざまな方法がある。

43.十河信二氏(第四代国鉄総裁)は、九十六歳になっても、世界経済とか国際情勢につ

いて読書に熱中し、専門家レベルの分析をしていた。そして、「人間、いつ呼び出されてもいいように、勉強だけは続けなくてはいけないのだ」と常々言っていたという。蓄電池型の人生である。

44.生活経験もなく、本の知識を自慢することは、放電にポイントがあると見てよい。放電しっぱなしの乾電池に近い。乾電池型の生活を繰り返すと、硬直化してしまい液漏れが起きる。化けの皮は、すぐに剥がれてしまうのである。蓄電池型の人生とたいへんな違いを生み出す。

充電には、大脳生理学的裏付けがあり、蓄電池型の強力な支えとなっている。脳には使わないとボケるのである。(中略)幸いにも今日の大脳生理学によると、頭は使えば使うほど、ボケなくてすむという。二十代から六十代まであんまり頭を使わない人は、早くボケてくるとのこと。のんびりしてはいられない。ジューデン、チクデンは、生かしの合図と覚えておこう。

充電の方法が読書によるのみではないことは、すでにふれた。「忘年の交わり」という補いをしておこう。45.若いときは老人を交わり、老いては青年と交わる。老人は若い人と交わって、その経験や学問を教え、若い者は老人の歩いた足取り(足迹)から吸収して飛躍を目指す。老人は若者のバイタリティ(活力)と新鮮な発想を学ぶ。人との交わりによる充電方法である。蓄電型と蓄電型の相乗効果のみでなく、忘年の交わりのある社会へと一歩前進したいと思うからである。

Ⅲ.作文(25点)

46.次の指示に従って、450字~500字の作文を書きなさい。

大学院に入るとなったら、これまでと違って学生生活において自主的な勉強が増えてくる。また、余暇を利用してのアルバイトも出てくるであろう。アルバイトは社会的実践活動の一つとして大切であることは言うまでもない。しかし、アルバイトをしているうちに自分を見失ってしまう学生もいるが、勉強とアルバイトの両立性について、あなたはどう思うか。自分の考えを作文に書きない。

注意:①漢字を使うべきところは漢字を使うこと

②「だ?である」体で書くこと

2008年全国硕士研究生入学考试日语试题答え

Ⅰ基礎知識(20点)

01.D 02.C 03.A 04.B 05.D 06.B 07.A 08.C 09.A 10.C

11.B 12.D 13.D 14.C 15.A 16.A 17.D 18.D 19.C 20.B

Ⅱ読解(55点)

A(2点*20=40点)

[一]21.D 22.C 23.D 24.A 25.D

[二]26.D 27.A 28.C 19.B 30.B

[三]31.C 32.A 33.A 34.B 35.C

[四]36.C 37.D 38.A 39.B 40.A

B(3点*5=15点)

41.从照明用具到收音机,钟表和剃须刀,在我们的生活中不断呈现无线化的过程中,电池的普及是永无止境的。而电池中有两种类型:一种是一次性使用,放电后不能充电的干电池,一种则是能够反复充电,长期使用的蓄电池。

ポイント「~に至るまで~」、「~とどまるところを知らない」

42.可以说,学生时代处于父母,老师,朋友和学长的关爱之中,可以说这是一种有线化的状态,而一旦步入社会,生活就会转变为一种必须进行自我控制的无线化状态。所以毕业之后真正的人充电(掌握技术与文化)就开始了。由于这两种类型不同,其人生色彩便会出现差异。

ポイント「~となれば~」、「~ねばならぬ」

43.据说十河信二先生(第四任国铁总裁)在96岁高龄时,仍热衷于阅读世界经济与国际形势方面的书籍,并作出具有专家水平的分析。他常说:“人生唯有学习不可间断,这样才能随时对社会有用。”这是一种蓄电池型的人生。

ポイント「~になっても~」、「~なくてはいけない~」

44.连生活经验都没有,就在卖弄书本知识,这种人可以说是只顾放电的人,类似于只能放电的干电池。多次重复干电池型的生活,就会导致僵化,引起漏液,很快就会原形毕露。这与蓄电池型的人生会产生很大差异。

ポイント「~と見てよい~」、「~っぱなし~」

45.年轻时与老年人交往,年老时则与年轻人交朋友。老年人吧自己的经验和学问交给年轻人,

年轻人则从老年人走过的足迹中汲取经验以期得到飞跃。通过与年轻人交往,老年人可以学习年轻人的活力和创意。这是一种通过与人交往来充电的方法。

ポイント「~を目指す~」、「~による~」

2009年全国硕士研究生入学考试日语试题

Ⅰ基礎知識(20点)

次の文章を読んで、1~20の問に答えなさい。答えは選択肢[A][B][C][D]からもっとも適切なものを一つ選びなさい。

入学式を終えた(1)の一年生らしい子供が母親に連れられて歩いている姿を見た途端、「ああ、かわいそうに」と私は反射的に思った。

今日からこの子も勉強という、あの嫌で嫌でたまらないものを習い、覚えさせられるのかという思いである。私は自分が小学一年生になった日から、それまで夢の中の至福だった生活から、突然放り出され、いじめっ子や怖い先生のいる集団生活に入れられた遠い遠い昔のことを(2)思い出したのである。

だから、本来ならば「おめでとう」といわねばならぬのが「ああ、かわいそうに」と感じて(3)のだろう。

もちろん、私の感じ方は正当ではないし個人的すぎるにちがいない。

しかし、私には正直いって近頃の子どもが哀れで仕方がない。それは朝から晩まで教育、教育というお母さんたち(4)引きずり回されているからだ。

小学校以前にも有名校に入校するための塾があって幼児たちはそこに通わされているそうだ。小学校に入れば入ったで、学校のあとも勉強塾に行かされる。

私はこういうことを(5)「教育」とは思っていない。子供の教育とはこれとはまったく異質だと考えている。

私は人間が幸せなのは小学校時代までだ、と思う。皆さんも昔のことを思い出していただきたい。

特殊な事情のなった方は別として、普通われわれが自分の人生を(6)、「幸せだったなァ」と思えるのは幼年時代や少年時代までではなかったろうか。それは親の愛に包まれ、毎日何の心配もなく過ごせた時期だからである。この時期を過ぎるとわれわれは多少は大人になり、大人になったが(7)色々と苦労もしなければならない。

そう考えると、その短い幼年時代や少年時代を受験勉強させるために、「遊ぶ」こともできず、塾通いに振り回される毎日を子供にさせていいのか。それ(8)本当に人間の「教育」というものなのか、私は真剣に親たちが考える(9)だと思う。

この図形が三角か、四角か、正三角形の辺が皆同じ長さだなどということは10歳になっ

て知れば良いことであって、5歳、6歳が覚えねばならぬことではないはずだ。5歳、6歳が覚えねばならぬことは、犬や猫がどんなに可愛いか、白雪姫がどんなにかわいそうか、夕焼けの色がどれほど美しいかなどである。そして遊びの楽しさが子供たちの人生の思い出につながるような毎日なのである。

私は今のすべての受験教育は素直に伸びるべき人間を盆栽を仕立てるように無理にねじ曲げるものだと思う気持ちが心の(10)ある。

もちろん、私のこの文章を(11)反対される父兄(ふけい)は多いだろう。「そんなことすれば子どもが社会に出て結局、不幸になる」というのがその方たちのご意見に違いない。私にもそれぐらいはよくわかる。

しかし、不幸とか幸福とかは何の尺度(しゃくど)で計って決めるのだろうか。親の幸福感や、人生観がそのまま彼らの子弟教育に反映するとすれば、「社会的出世」など

(12)幸福とは関係ないことを主張できる親が日本にもいてよいのではないか。

(1)~(12)に入れるのにもっとも適切なものはどれか。

1.[A]ぐらい[B]ほど[C]ばかり[D]だけ

2.[A]ふと[B]ざっと[C]わざと[D]じっと

3.[A]いった[B]おいた[C]みた[D]しまった

4.[A]を[B]に[C]と[D]で

5.[A]たいへん[B]ひじょうに[C]すごく[D]まったく

6.[A]振り返って[B]図って[C]引き取って[D]預かって

7.[A]ことに[B]もので[C]ゆえに[D]わけで

8.[A]と[B]が[C]より[D]まで

9.[A]まま[B]ところ[C]べき[D]つもり

10. [A]どこに[B]どこか[C]どこかで[D]どこかに

11. [A]お見えになって[B]拝見いたして[C]お読みになって[D]拝読して

12. [A]いかにも[B]かならずしも[C]もっとも[D]ぜひとも

13.文中の「一年生らしい子供」の「らしい」と同じ使い方のものはどれか。

[A]彼女はいかにも芸術家らしい格好で現れた。

[B]どんなに言われようと、あの人は平気らしい。

[C]最近は、朝晩涼しくて秋らしい日が続いている。

[D]あの人は、研究らしい研究を何もしていないくせに、威張っている。

14.文中の「でたまらない」の意味に近いものはどれか。

[A]今後も皆様の御活躍を祈ってやみません。

[B]それぐらいの失敗で、あきらめてはならない。

[C]テレビゲームのやりすぎか、近頃目が疲れてしょうがない。

[D]彼女の悪口を言うなんて、僕に対する侮辱でなくて何だろう。

15.文中の「思い出していただきたい」の意味に近いものはどれか。

[A]思い出してほしい[B]思い出しても良い

[C]思い出そうとする[D]思い出したい

16.文中の「受験勉強させるために」の「ために」と同じ使い方のものはどれか。

[A]頼まれた仕事を忘れてしまったために、田中課長に注意された。

[B]夜型の人間が増えてきたために、24時間営業の店が広まっている。

[C]明日特別な行事のために、この駐車場は臨時に駐車禁止になります。

[D]親善大使として貧しい子どもたちのために、彼女は世界中をまわっている。

17.文中の「盆栽を仕立てるように」の「ように」と同じ使い方のものはどれか。

[A]競争より協調のほうが重視されるようになりました。

[B]この日程はあまりにもゆとりがなさすぎるように思います。

[C]甘いものは太るので、できるだけ食べないようにしています。

[D]今まで静かに寝ていた赤ちゃんは火がついたように泣き出した。

18.文中の「反対される」の「(ら)れる」と同じ使い方のものはどれか。

[A]彼は正直な人で、周りから信頼されている。

[B]先生、このことについてどう思われますか。

[C]この歌を聞くと、故郷のことが思い出される。

[D]イエス?ノーで答えられるように簡単なことではない。

19.文中「哀れ」の読み方はどれか。

[A]あふれ[B]まぎれ[C]くたびれ[D]あわれ

20.文中「主張」の読み方はどれか。

[A]しゅちょう[B]しゅうちょう[C]しゅっちょう[D]しゅうちょ

Ⅱ読解(55点)

A次の文章の[一][二][三][四]を読んで、21~40の問に答えなさい。答えは選択肢

[A][B][C][D]からもっとも適切なものを一つ選びなさい。(2点*20=40点)

[一]

西洋諸国の画法の基本は、写真(真を写す)というものであって、日本の画法とは大いに異なる。そのため和風?中国風の画を描く人たちはこの西洋画法を大変奇怪なものと考えて、そこから学び取るべきものがあるなどとは思いもせず、どう扱ったらよいかわからぬままに、これは画というものではない、細工を凝らして作り上げたものだなどという者まであるしまつだ。ばかげたことである。もともと細工とは精妙なこまかな技法のことを言う。和風の画でも中国風の画でも細画はみな要するに細画なのであって、人の毛髪やひげなどを一本一本描き分けているものもある。西洋の画法で毛髪を描くときは一筆で描くのだが、それを見ればちゃんと細い毛に見える。西洋画法では、和漢の画法で言うような筆勢とか筆意とかにはこだわらないのである。筆とはもともと画を製作するための道具に

ほかならない。それなのに、たとえば牛を描いてもそれが牛であることが示されずに、ただ筆意のみが出ているというのでは、一点垂らした墨も牛だと言うことになってしまう。それはちょうど医者が病気をなおすのに薬を使うのに似ている。薬はつまり絵具であり、医者は筆であり、病気は画にあたる。医者(筆)が良薬(絵具)を用いて病気を治そうとするのに、その病気(画)がそもそもどこから、なぜ発生したのかを知りもしないで、ただ医者の心構え(筆意)ばかりを強調しているようなものである。画についても理屈は同じなのだ。

西洋画は筆意というようなことより、ただ自然の真相を捉えることのみ眼目(重点)とするのである。それに比べれば和漢の絵画は単なる慰み者にすぎず、ものの用に立たない。そのうえ、西洋画の画法では、濃淡によって、対象たる物の明暗や、凹凸や、遠近や、深浅の度をあらわして、その者の真の姿を正確に再現する。そのことによって文字と同じように情報?知識の伝達に役立つのだが、特に物の形状などは文字でいくら説いてもわからず、結局画によらない限り伝えることはできない。(ア)、西洋の書籍には画図によってものを説明しているものが多いのである。西洋画は、だからけっして和漢の画のように、酒席の余興に一筆腕をふるって遊ぶ、といった気軽な遊戯などではありえない。真に実際の用に役立つ技術であり、また政教の道具でもあるのだ。

21.文中の「そこ」は何を指しているか。

[A]日本の画法[B]西洋諸国の画法

[C]西洋と日本の画法[D]和風?中国風の画法

22.文中「どう扱ったらよいかわからぬ」の意味に近いものはどれか。

[A]どのように使用していいかわからない

[B]細工のこらしかたがどうもわからない

[C]いったいどう理解していいかわからない

[D]購入してどう処理していいかわからない

23.文中に「西洋画法では??????こだわらない」とあるが、それはなぜか。

[A]主目的が自然をいかに写実的にとらえるかにあるから

[B]主目的が自然をいかに写意的にとらえるかにあるから

[C]筆意より細かな技法でこそ自然を描けると思うから

[D]筆意より絵具こそいちばん重要だと考えているから

24.文中の(ア)に入れるものはどれか

[A]そのくせ[B]そのため[C]それだけ[D]それなのに

25.筆者の見方に合っているものはどれか

[A]西洋画と日本画の毛髪の描き方は同じであるが、西洋画の方が毛髪の一本一本までよく見て取ることができる。

[B]西洋画は奇怪で学びにくい画法であるが、細工をこらしているので、日本画より自然

に見えるのは確かである。

[C]西洋画は筆勢と筆意にこだわることなく、気軽に描くことができるので、実際には役に立つ技術である。

[D]西洋画は物の姿を描く意味では実用的ではあるが、遊びとして宴席の場で一筆腕を振るうというわけにはいかない。

[二]

かりに脳死患者の臓器が、それがなければ死を免れない何人かの患者の生命を救うと考えよう。とするならば、本人の意思のいかんにかかわらず、臓器移植が許されるのであろか。それが許されるとする考え方は、権利概念からは絶対に出て来ない。

(ア)、一つの生命より二つの生命、二つの生命より三つの生命の方が、量的に勝ることはいうまでもない。しかし、そのことは一人の生命より、三人の生命のほうが尊いということを意味しない。なぜなら一つ一つの生命は人格の尊厳の基盤だからであり、人格は比較を拒むところにその本質があるからである。人間から人格を排除するときにのみ、人間同士の比較や足し算、引き算が可能になるのである。

人格が比較を拒むのは、それぞれの人格がかけがえのない存在だからである。かけがえのない存在であるからこそその生命はぎりぎりのところまで尊重されねばならないのである。そのことは脳死状態の人間でも全く同じである。かりに微かな可能性があるならば、そのわずかな可能性にかけるのが、人権の立場なのである。

それでは、臓器の不全で死を間近にした患者の立場は、どう考えたらいいのであろうか。もちろん、彼あるいは彼女らの命の重さに、差がないことはいうまでもない。(イ)、臓器提供を受ける患者は、臓器移植を権利として主張できるわけではない。それはあくまで脳死者の人権を最大限配慮した後に、はじめて可能となるテーマなのである。

両者の立場の違いをあいまいにしておくことは、臓器のみならず、人体全体の商品化へ道を開くことになる点で、非常に危険と言わねばならない。人間の命のかけがえのなさが、まさに臓器移植のような医療現場でするどく問題となっている。

一般に言って、権利感覚は効率本位の考え方とは相容れないものである。効率を大事にする者は、存在するものは最大限に利用したいと考えるであろうし、将来性のあまりない存在に、費用を注ぎ込もうとはしないであろう。限られた資源を最大限有効に利用するのが、効率本位の考え方であり、またそれが最大の利益を保障するわけである。

しかし、権利を大切に考える者は、たとえ無駄であってもかけがえのない存在を最後まで守ろうとするであろう。私自身十数年前に母を癌でなくした経験があるが、その時に脳死状態の母に高額の治療費がかかったことがあった。それでも温もりのある母の身体が病床にある限り、東京に病院に何度となく足を運び看病をしたことがあった。第三者からみれば、無駄な出費と見えるかもしれないが、それが当時の私にとって最大の仕事であり、生きがいでもあった。権利感覚は最終的には、かけがえのない個別としての人間、それがどれほど効率が悪く、手のかかる存在であろうとも、そのような存在に対する深い思いに

根ざすものなのである。

26.文中の(ア)に入れるものはどれか。

[A]人格の尊厳性から考えれば[B]非常に極端な発想をすれば

[C]単純な算数の問題で見れば[D]権利概念の立場から言えば

27.文中の(イ)に入れるものはどれか。

[A]もしも[B]なぜなら[C]もしくは[D]しかし

28.文中の「それ」が指すものはどれか。

[A]脳死患者の尊厳[B]臓器提供を受ける権利

[C]臓器不全患者の尊厳[D]臓器提供者の権利

29.文中に「権利を大切に考える者は??????守ろうとする」とあるが、その意味はどれか。

[A]救えないことがわかった時点で、権利を諦めさせる。

[B]救えないことが分かっている生命でも最後まで努力する。

[C]救えないことが分かったら、他の命を救うことに努力する。

[D]救えない命なら、努めてより多くの命を守ることを考える。

30. 筆者の考えに合っているものはどれか。

[A]人の命は、たとえ瀕死状態に置かれていても最大限の尊厳を与える必要がある。

[B]一人の命が何人かの患者を救うことができる時は、臓器移植許可されていい。

[C]臓器移植で臓器不全者の命が救われる時、提供者の医師にこだわることはない。

[D]臓器移植には反対しないが、それは移植される患者の命が保証される時である。

[三]

ラジオもテレビも、様々な情報をほとんど休みなく発信し、しかも、それを人々は休息する家庭の中にまで届けてくれます。ニュースについて言えば、いわゆる速報性を特徴としていて、事件が起こると同時にその進行と並行して、刻々に状況を知らせてくれます。また、その二つのメディアには遍在性とでもいうべき性質があって、情報は場所と時間を選ばず、人々のもとに向こうからやってきます。これによって、二十世紀の人間は人類史上初めて、夥しい事件の経過そのものに、絶え間なく、どこでも何時でも立ち会わされることになりました。

さらにラジオとテレビの決定的な特質は、それがかつての印刷メディアとは違って、文字による言葉の伝達力に頼らないということです。活字による情報は、人々の教育程度によって受容が決定的に差別され、結果としてメディアの階層分化を作り出していました。文字を知らない人が排除されるのはもちろんのこと、文法や文体について教養の差があれば、それは受け取る情報の量と質にも差が出来ることを意味していました。それに対して、語り言葉と音響と映像に頼る電波メディアは、情報の無階層化を革命的に進めました。

(中略)

しかし、情報の本質から見てより決定的であったことは、それによって情報の持つ体系的な性格、いわば一望できる構造が著しく突き崩されたということでしょう。書物の場合であれ新聞や雑誌の場合であれ、文字情報は、例えば目次の組み立て、章と節の区分、見出しの多少などによって、その構造を目に見える体系として示すことができます。受け手は情報の全体を空間的に展望し、その中にある論理的な秩序、価値的な階層関係を一目で読み取ることができるのです。

(ア)、刻々に伝えられては流れ去る電波情報は、その時々の部分の印象の強さに比べて、内容の全体像を伝える力は弱くなります。言い換えれば、事件が持っている時間的な全体像、さらにいえば歴史的な経過の構造が、文字情報の場合に比べては非常に弱くなります。ラジオを聞きテレビを見ている人間にとっては、半月前の大地震よりも、今日起こった小さな火事のほうが強烈な刺激を与えます。このことはニュース情報に限らず、ドラマやショーのような、本来は構造的な性格の濃いフィクションの場合にも当てはまります。劇場のドラマに比べてテレビやラジオのそれは刻々の趣向が面白く、その代わり、全体の首尾結構が弱いのが普通です。一篇の作品の中では常に見せ場(面白い場面)を作り、連続ドラマの毎回ごとに山場(クライマックス)を設けるのが放送ドラマの特色だと言えるでしょう。

31.文中の「これ」とは何を指すか。

[A]家庭まで、あらゆる情報を届けてくれること

[B]ラジオやテレビには速報性と遍在性があること

[C]ラジオやテレビが休みなく情報を発信していること

[D]刻々と変わる事件の進行をありのまま知らせてくれること

32.文中の「ラジオとテレビの決定的な特質」とはどういう意味か

[A]多くの見せ場?山場が出現すること

[B]情報構造が一望できるようにすること

[C]電波によって情報の質を向上させること

[D]文字情報の一望できる構造が崩壊すること

33.文中の(ア)に入れるものはどれか。

[A]そのうえ[B]その結果

[C]それに対して[D]それについて

34.文中に「半月前の大地震よりも??????強烈な刺激を与えます」とあるが、それは何故か。

[A]地震より火事が身近なことと強く感じられるから

[B]映像や音響の方が書き言葉よりも迫力があるから

[C]受け手の身近に起こったことを伝えるのに効果的だから

[D]その瞬間に受け取る情報の印象が強く感じられるから

35.テレビ?ラジオメディアについて、筆者の考えに合っているものはどれか。

[A]情報に即時性があっていいが、逆に嫌でも付き合わられるという面もある。

[B]速報性と遍在性があるため、大変便利であり、充分に利用すべきである。

[C]情報の階層化が進みやすいため、無階層化のための改良にも心を配るべきである。

[D]電波情報として全体像を伝える力は強いが、部分的イメージは弱くなってしまう。

[四]

新人類なる名称がある。もっとも、新人類などという人類の学問的な規定はどこを捜しても発見できない。実際、この名称は、定まった「定義」が存在しない。

また、何事もそうであるが、特定の世代をとらえて一つの尺度で測るのは、大いに危険を伴うものである。新人類と言われている世代には、ある意味では私たちが体験してきた強烈な時代的なインパクトは存在していないのである。新人類の世代には受験戦争があるというかもしれぬが、そんなものは昔から通過せざるを得ない学生時代の体験であって、格別、今の若者に厳しいわけではあるまい。

つまり、強烈な世代体験のない世代を昔の強烈世代パターンで、一緒くたにする(将二者混为一谈)にはいささかの疑問を持たずにいられない。一方、時代を共有するほどの強烈な時代のインパクトを持ち合わせない(共に持っていない)ことは、個人的な人生観の選択肢の多さを、意味することになるのではないだろうか。

大体、若い時期は未熟なため、当の本人が、自分を十分に理解しているかどうか大いに疑問だ。自分をある程度分かるようになった人間のことを今は旧人類とか、オジン(お爺さん)とか言っているのではないだろうか。

そして、もう一つ。日本のような変革を志向しない国民性、安定志向性の強い国において、果たして新人類と呼ばれるに値するような極端に価値観の異なった世代が、忽然と発生するであろうか。そうではなく、むしろ「新人類は旧人類のコピー」ではないのだろうか、と考えるのである。

(ア)新人類は指示したことは文句なくやるものの、それ以上のことは余りやろうとしない、と一般的に指摘される。そこで考えてみると、若いときには概して余り気配りができないもの、権利意識はあっても、義務意識に欠けるとか、言われ続けてきたものではなかっただろうか。

「ほうれんそうが会社を強くする」などとも言う。ほう告?れん絡?そう談しましょう、というのである。こうしたコピーが、流行るところに既に指示待ち社会としての組織文化が氾濫しているのではないのか。「ほうれんそうしましょう」などと、眞面目に語っている会社は恐怖である。こんな当たり前のことが必要に応じて展開できていないから、いい大人に向かって、こんな発言をしなくてはならないのだろう。幼稚園の子供にマナーを教えるようなものだ。そうした指示待ち社会の実相を入社以前に就職情報誌かなんかで、熟知している若者もいるかもしれまい。

36.文中の「格別、今の若者には厳しいわけではあるまい」とはどういうことか。

[A]今の若者に対する受験によるインパクトは昔より厳しくて、強烈だ。

[B]受験そのものは、昔からあったが、今のはさらに強化され、厳しい。

[C]旧人類にとって、昔の受験が格別に厳しかったというわけではない。

[D]新人類にとって、今の受験が格別に厳しくなったというわけではない。

37.文中の「新人類は旧人類のコピー」とはどういうことか。

[A]新人類も旧人類と同じように、指示待ち社会をあまり頼りにしていない。

[B]新人類も旧人類と同じように、文句はあまり言わないが、仕事もしない。

[C]新人類も旧人類と同じように、文句を言いながら指示を待っている仕事する。

[D]新人類も旧人類と同じように、指示待ち社会で同じことを繰り返している。

38.文中の(ア)に入れるものはどれか。

[A]そうすると[B]けれども

[C]たとえば[D]したがって

39.文中に「指示待ち社会」とあるが、これについて、筆者はどう思っているか。

[A]組織文化を強化できるだろう。

[B]組織文化の氾濫の表れである。

[C]若者世代にとって必要でない。

[D]若者世代にとって便利である。

40.この文章の内容に合わないものはどれか。

[A]日本社会に新人類と呼ばれる人たちは全く存在しない。

[B]新人類は指示したことをやるが、それ以上はあまりしない。

[C]新人類と呼ばれる世代は突然に生まれてきたわけではない。

[D]日本の国民性は安定志向が強く、変革志向のない特徴がある。

B.次の文章の下線のついた部分を中国語に訳しなさい。(3点*5=15点)

41.草も木も種を実らせ、種を土に落とす。落ちた種は土をかぶって雤露の恵みを受けると、内蔵された生命力が目覚め、発芽して地上に頭角を表す。光と水と肥料とに恵まれ、そのおさない植物体はどんどん成長して、やがて天に向かって勢いづいていく。成長する植物の最終の目的は、花を咲かせ実を結ばせることにある。42.植物体そのものは、人間の知恵でいろいろに利用されはするが、それは植物自身が持つ目的ではなかろう。生きの喜びとして花を咲かせ、やがて実を結ぶのが、独り植物とのみいわず、個体の生存、種族の保存を本能にもつすべての生き物の目的と考えてよさそうだある。人間にしても天寿を全うして志す業を遂げた上で後事を託すべき子に恵まれて終わるのが、人みなの願うところであろう。

43.植物が成長を遂げ花を咲かせるのは、人間が功成り名遂げ、継承の子に恵まれて、満たされた心境に到達するのに等しい。植物の開花は自己顕現の最高の方法であり、その花

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